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なにやらサッカーの世界では対北朝鮮が盛り上がっているらしい。 それにしても北朝鮮といえば思い出すのは、長崎出身のコガ君だ。
コガ君との出会いと別れはプノンペンの陋巷の、後のわれわれが「未亡人カフェ」と呼ぶようになったジュース屋である。
コガと、まぁ、同じく陋巷で知り合った数名は、毎日毎日あきもせずその「未亡人カフェ」にたむろしていたのだが、どういうわけか北朝鮮の話になった折、コガが言った
「まぁなんといっても、北朝鮮といえば乱数表とマスゲームだな」
コガとの出会いのきっかけも、顔も声も、実はほとんど記憶の外なのだが彼が言ったこの言葉がいまだにわすれられないでいる。
ふつー乱数表とか想像しないでしょ こいつ、只者じゃないって思ったけど、実際只者じゃなかった。
当時、まだポルポトが生きていて反政府軍が跋扈するプノンペンは夜9時以降外出禁止。 外国人とみれば賄賂を求める警察はまったく役に立たず、夜は銃声が聞こえるありさま。しかしコガは流れる銃弾を潜り抜けて毎晩懲りずに置屋通いをしていた。 ちなみにコガと一緒に置屋通いをしていたもう一人の男性は、のちのちあたくしに置屋の「オッキー」と呼ばれることになる。 彼もすっかりおちついて今は一時の父になっているが、さすがに「オッキー」と子供の前で呼ばれるのをよしとせず、最近はすっかりわれわれと一線を画してしまったのは残念至極だ。
さて、そのコガ。ある朝、未亡人カフェでいつものようにジュースをすすっているとオッキーがやってきて言った 「朝起きたら古賀がいなくなってて、これから陸路でタイに行くって書置きがあった」 連絡先は? 「書いてなかったよ」
当時、陸路国境超えなど自殺行為だった。「夕方までに断念して戻ってくるんじゃないの?」「ま、せいぜい明日には帰ってくるさ」 しかし、彼は戻ってこなかった。
その後、日本に帰ってきて、何かの雑誌で彼の国境超えの記事を見たという話を耳にはしたが、結局探し出せずにいる。
なぜ彼を実名で出したかというと、そのプノンペンで会った仲間たちは彼の消息をしりたくてしりたくて、数年に一度集まるたびに彼のことを話題にするのだ。
コガエイジ 現在推定年齢30代後半。長崎県出身。佐世保とか諫早あたりだった記憶。消息を知りたいのだが、だれか知っている人はおりませんかぁ?
2005年2月8日(火)
No.354
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