THE ACUPPER RUNNING
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2005年08月16日の日記

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グランドキャニオン
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ラスベガス
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終戦記念日 〜つづき..
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終戦記念日
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ノリダーへ告ぐ
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暑気払い
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パワーアップ計画
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タイヤの恐怖
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美人OLの謎の死
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冷え性
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情けは人のためならず

終戦記念日 〜つづき〜
残念ながら、次の展開は「火垂の墓」でもなければ「ビルマの竪琴」でもない(楽しいツッコミをありがとう>諸氏)。それどころか、自転車で遭難しかかったことや、方向音痴のベルギー人との出会い、たどりついた電気の通っていない村の話などは、続きの話に全く関係がなかったりする。すみません。

問題はそのバガンの帰りの空港での話だ。

空港は、更地を有刺鉄線で囲んだ中に小さい小屋がぽつんと立っただけの、さびれた施設だった。
手書きの、紙切れのよ〜なボーディングパスをもらった私は、敷地をでて、道路をはさんだ小さい店で水を買い、店先の日陰のないテーブルで暇つぶし。
店は、家族でやってそうな、小さいたばこやみたいな店で、裏には家があり、赤い土のひろがる、どこまでが道路でどこまでが庭なのかよくわからない空き地を、にわとりがばさばさ跳ねていた。暑かった。

その庭からちょうどあたくしが休んでいる店先のテーブルのあるあたりを、ちょっと足をひきずるおじいさんが、ゆっくりいったりきたり歩いていた。この店の家族の人だろう。
おじいさんは、ふと、あたくしに目をとめると、言った。

「日本の方ですか?」

アジアには日本語を流ちょうに話すお年寄りがたくさんいる。話せることを伏せている人や使いたがらない人が多いようだが、何度か旅先でこんな風に話しかけられたことは過去にもあった。そのたびに、日本が占領していた事実をつきつけられるような気がして、私はいつも妙に神経質になる。

だからこのおじいさんが、なまりのない、流ちょうな日本語で話しかけてきたときも、ちょっと狼狽した。

ああ、何か話さなきゃと思うあまり、実にわかりきった、情けないことを私は聞いた。

日本語はどちらで?

「戦争でね。覚えました。日本軍で、通信の仕事をしていたんです」

・・・そうですか・・・

話をどうつなげていいものか、言葉をさがしているうちに、また馬鹿なことを私は聞いた。

日本人は、ずいぶん・・・ひどいことをしたんでしょうか・・・

「そうですね〜・・・もの盗んだり、殴ったり、強姦とかですね。ひどかったですよ」

返す言葉もなかった

「戦争だから、仕方ない」

そう答えるおじいさんの表情は、深いしわや日焼けで読み取れなかった。


アウシュビッツに行き、
ヒロシマ、ナガサキに行き、サイゴン、プノンペンに行き
ナチスに暴力をふるわれた人の話
ナガサキで被爆した人の話
ポルポト兵に家族を殺された人の話

多くの負の遺産をみて、話も自分の耳できいてきた。

だけど、私が泣いたのは、バガンでのこのおじいさんと話をしたとき、これが最初で最後である。
2005年08月16日(火)   No.253 (その他)

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