谷間は浅いが奥が深いAかっぷ倶楽部が贈る「終戦記念日特集」
その昔、あたくしがまだギャルと呼ばれていた頃の話である。
ミャンマーの首都ヤンゴンの北500kmにある、バガンという街にいったときのことだ。
雨期で終日雨つづきのヤンゴンに対し、内陸のバガンは赤い土に覆われた砂漠の街だった。たまにサソリがスルスル這っていたり、みたこともない蛍光色の巨大なは虫類が道ばたでじっとしているのを見かけるので、プチ動物園のような気分も味わえるが、しかしとにかく乾いた、ほこりっぽい街だった。
このバガンには有名な仏教遺跡があり、これは世界三大仏教遺跡のひとつに数えられている。バガンへ足を運んだのはその遺跡をみるためである。あたくしは聖なる物や神聖なもの、宗教遺跡などが好きだった。なんと高貴なシュミであろう。おかげで当時は「ホーリーたまえ」などと呼ばれたものだ。もちろんいまそう呼ばれても、一向に違和感はない。
さて、例によってひとり旅をしていたホーリーたまえが、この地でナンパしたのはベルギー人ジャーナリストであった。自称ジャーナリストという人に、あたくしは旅先ですでに7539人ぐらい会ってきたので、真偽のほどについては怪しさ100%だが、ま、ジャーナリストと言っておこう。
我々は、自転車を借りてともにバガンの遺跡をまわろうではないか!ということで意気投合したのだが、こやつは方向音痴のうえ、あろうことか自転車がパンクするという失態をおかしたのだ。
完全に方向を間違えたあたくしたちは、気がつくと砂漠のどまんなかにおり、パンクしていないあたくしの自転車ももはや砂に埋もれて操縦不能。炎天下の中自転車をひきずり、道なき道を歩き続け、しかしとうとう水もそこをつく。「あたしゃこんなところで、方向音痴のベルギー人と一緒に死ぬ運命だったのか?」と、親不孝な自分を嘆き悲しんだ。
そのときはるか彼方に村のあかりが!(←いや、昼間だったがイメージとして。あとで気づくが、そもそもこの村には電気は通ってなかったような気がする)そのとき彼は叫んだ。
「たまえ!見ろ!文明だ!」
文明て・・・ォィ
彼の顔も表情ももう記憶のかなただが、この台詞だけは忘れられずにいる。
はっ!しまった・・・戦争特集といいながらつい話がそれてしまったな。ホーリーたまえは、このあとちょっとした体験をするのだが、続きは明日にしよう。
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